聖書とリーダーシップ


 

リーダーシップは4000年前から神様が教えています。聖書にはリーダーシップという言葉はありませんが、その重要性を人間が気が付くはるか前から聖書に登場する人物を通して神様は人としてどのような行動を取るべきか、取ってはいけないかを教えてくれています。例えば、

アダムとエバは、神との約束を破った人類最初の人間です。彼らの取った行動は読んでみると浅はかに思えますが、実は私もあなたも含め例外なしに私たちが今でも取っている行動です。彼らのとった一つの行動により、人類は罪に覆われ自力では抜け出せないでいます。ここでは私たちは神ではなく、従うべきお方は一人だけだということを教わりました。

ノアは、堕落した人類の中でただ一人神様から見出され、雨も洪水も何か知らないまま、ただ神からの命令に従い、見えない神を信じ、巨大な箱舟を作るという行動を起こした最初の男です。私たちは神様がアダムとエバを創造されたことでこの世に生まれ、ノアの行動によりこの世に生かされています。

アブラハムも神との約束を信じ、裕福な暮らしを投げ打って、行く先も、日程も知らされずず、75歳の時に「あなたの子孫にこの土地を与える」と言われ、行動に出たイスラエルの父である。ちなみに「あなたの子孫に」と言われた時点でアブラム(アブラハムの前名)は子供もいなかった。それでも神の声に聞き従った。

サラは、アブラハムの妻だが、神との約束が待てず、その約束を自分なりのやり方で実現させ、後悔をした女だ。僕たちも同様に、神様のご計画を疑い始め、自分のプランに置き換えようとしないだろうか?忘れてはいけないのは、神は永遠、絶対で誰も頼らずに存在できるお方、僕たちは、限られた命、日々感情に動かされ絶対などあり得ず、一人では絶対に生きていけない生き物だということです。

ヤコブは、世間的には神と初めて格闘をして勝って、欲しいものを手にいれた男と言われますが、聖書を読むとその貧欲さは尋常ではありませんでした。神との格闘においても、腰骨をはずさたのにもかかわらず、「私を祝福してくださるまではあなたを去らせません」としがみつき、勝利を手に入れました。のちにヤコブはイスラエルとう名前をもらい、イスラエル12部族の父となりました。

ヨセフは、兄弟に売られた夢見る末っ子ですが、言い換えればいつ、如何なる状況下でも神を信じ、人生に勝利した男です。そして、聖書からは神様がヨセフを用い、イスラエルを救われたことがわかります。

聖書にあることは、物語ではなく本当にあったこと、しかし単なる歴史書でもなく、ハウツー本でもありません。神様はそれぞれの時代のあらゆる人物に語られています。当然さまざまな家族構成や時代背景があるが、僕達と同じような悩みや感情をもった人間たちを通して語られる神さまの言葉と語られる人物にはそれぞれのドラマがあり、彼らが考えることや、取る行動は現代に生きる僕たちとさほど変わっていないことに気がつきます。いつの時代にも神様の言葉を無視する人、軽視する人、湾曲して理解する人、反発する人、そして素直に聞き従う人がいて、聖書にはそれが全て書いてある。

信仰的に、ノアやアブラハムが取った行動のようにはできる人は稀に見る人で個人的にはお目にかかったことがないし、アダムとエバ型の人たちは世の中に沢山いるし、自分自身も含まっている。そういう意味では僕達人間は霊的には何も進歩がないように見えます。人間行動学とか科学とかの研究はすすんでいるかも知れないが、それが神の目から見て喜ばれることなのかはわからない。むしろ人間の行動を変化させているのはソシアルメディアだが、これはむしろ神からは嘆きの声が聞こえてくるように思えて仕方がない。

実は聖書には現代でも通用するいろいろな法則が隠されている。むしろ重要なことだが、今では置き去りにされていることの方が多い。真の法則とは人間や、国や、場所に束縛されない普遍的なもの。時間とともに変化したり、陳腐化するノウハウではありません。

もうそろそろ、本物に根ざしたリーダーシップを学んでみませんか?

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